翌朝おいしい朝食を頂き出発しようかと思っていると
「エスカロンという町に僕の友達がいるから、今日はそこに泊まるといい。だいたい60キロくらいかな?だから午前中は町を少し案内するよ」
願ってもない申し出で、喜んで受けた。
車でドライブしながら散策させてもらい、一旦家に戻ると自転車を積み国道まで送ってくれた。
さぁ出発。ハグして「ここは君の家だからね」
再びグッと来る
本当に幸せな時間だった。
さて時間は1時。60キロくらいとの事だったけど、地図を見ると75キロはありそうだ。
しかもエスカロンは旧道上にある町だが、フランシスコさんは新道(高速道路)から行った方が安全だからと、新道から町の行き方を念入りに説明してくれた。
「新道から町までは未舗装路なんだけど、1キロくらいで・・・」
地図ではどう見ても、4~5キロ離れている。
「何時頃に着きそうだい?」と言われたので、
「たぶん5時か6時くらいに」と答えた。
ちなみに日没は5時過ぎ。
ギリギリだ。いやちょっとキツイ。でも行くっきゃない。
変わらぬ景色の中ストイックに漕ぎまくる。
が、無常にもパンク。このところよく後輪がパンクする。(後輪はタイヤ交換しておらず、シュワルベのタイヤじゃない)
15分ほどで修理終え、再出発。たかが15分されど15分。
道は微妙に上りで、軽い向かい風。思ったより距離が伸びない
迫る日没。途中旧道との分岐点があり、いっそ近道の旧道に入ろうかとも思ったけど、熱心に説明してくれたので、そのまま新道をひた走った。
いよいよ日没が迫ると、本当に野宿をしようか迷った。路肩は広いにせよ、暗くなったらそれこそ危険だ。
時間は5時をまわり景色が茜色に染まった。
なんて綺麗なんだろう。ただ立ち止まって写真を撮ってる暇はない。
数分後には日が落ちる。計算では後7~8キロくらいのはずだった。
うおっしゃ~。ラストスパートー!!
と必死に漕いでいると、中央分離帯にパトカーが止まっていて、人がこっちを見ている。
が、かまっている暇はない。いつものように手を上げ通り過ぎようとしたら、手招きをされてしまった。
・・・だー!!
さすがにポリスの手招きを無視するわけにはいかない。時間がないのに~
しぶしぶ止まり、近づくと
え~~!!
「これくらいの時間に来るって聞いてたからね。待ってたよ」
すごくホッとして、すごく嬉しいけど、まさかパトカーでお出迎えとはなんたるVIP。
彼はリカルドさんといい、この町のポリスだ。アメリカで働いていた経験もあるので英語が喋れる。
自転車を積んで、エスカロンへ向かった。
エスカロンは町と言うより、小さな集落といった感じだった。
ぐるっとパトカーで案内され「小さくて何にもない町だろ?」と言われて、その通りだったから返す言葉に困った。
建っている家々も、もちろん街とは違い小さく、ボロイのが多い。
そして、リカルドさんの家に向かった。
広い敷地を壁で囲いその中に家と、たくさんの家畜を飼っていた。
翌朝撮影
ブログなので、失礼だがわかり易く表現させてもらうと、家は昔ながらと言った感じ。
翌朝撮影
もちろん電気・ガス・水道は通っているが、薪ストーブも現役で使っていた。
使い込んだ調理器具がレトロでかわいらしい
奥さんと、3人の子供達。皆小学生くらいの男の子だ。
いつもの様に、パソコンで写真を見せて僕の旅を紹介すると家族全員で大盛り上がりだった。
なんかすごく温かい。
この町には娯楽施設もないし、家にはパソコンもなければゲームもない。
でもだからこそ、この家族の温かさが生まれるのだろう。いいなぁこういうの。
リビングで料理するお母さん
夕食は肉野菜炒めと、豆の煮物。それにトルティージャ。
でお味ですが・・・
もうビックリするくらい美味しかった。
味はもちろん、驚くべきは肉野菜炒めのその辛さだった
。
唐辛子の原産地のメキシコはフルーツにチリをかけるくらいチリ好き。
屋台でもどんな料理を頼んでも必ずチリを添えられる。
お母さんの料理も辛い。
料理を口に運ぶと、ガソリンに引火した炎のように「ぼぁっ」と辛さが口中に広がる。
けれど喉を通り越すとスッと辛さが一気に引いて、微かに甘みのようなものも感じられ、辛さが舌に残らず、チリの旨みだけが残る。
めちゃくちゃ深い。
僕も辛いもの好きだが、今日この瞬間辛さの概念が吹き飛んだ。
辛さってこんな深いものなんて知らなかった・・・
その証拠に小さい子供のこの辛さをパクパクと食べている。
日本で激辛にヒーヒー言って喜んでる場合じゃない。
原産地の素材の良さもあるだろうが、やはりお母さんの腕だろう。
見ていたら、日本のシシトウを大きくしてようなチリをじっくり炙り、手でほぐして料理していた。
おいし~!!と連発すると、お母さんがニコニコ微笑む。子供達が無邪気に笑い。お父さんがそれに答える。
なんて温かい家庭なんだろう。
その場にいれる自分が本当に幸せだった。