照れながら、「戻ってきちゃいました。」というと
暖かく「おかえりなさい」って迎えてくれた。
ただいま。イグアス居住地
今回も癒されまくったけど、前回紹介したからサクっと写真で振り返ります
ペン園のワンコたち
手前ヒメ。奥マロン。
つれない仕草が得意。笑
名前を呼んでこっちに着たかと思えば素通りみたいな。笑
エンパナーダが鼻をキュンキュンならしやってきた。
実はエンパナーダを可愛がっていたジャイカの職員が事故にあい緊急帰国をした。
待っても来ないその人をずっと待っているようで、本当に切ない
当然土日は竹下さんちのラーメン屋
相変わらず、うまいなぁ。ここのらーめんは
竹下さんのラーメン屋にいた8年前に移住してきた日本人会の職員件日本語学校の先生の壱番さんに連れられて、日本語学校を見学。
旅行者の少ないこの時期に長いこと滞在してるものだから、僕等はすっかり顔なじみになった。
日本語学校の高校生達は
みんなペッラッペラに日本語話す。
漢字だってこの通り。
逆に僕が、ここで流れていた最新の日本の歌を全く解らなかった。
ここイグアスでは幼稚園から日本語学校があり、家庭でも日本語を使っているので高校生くらいになると、日本人と変わらない。
それに加え、母国語のスペイン語はもちろん。土地の言葉のグアラニー語。更にはポルトガル語まで操れるってんだからすごい
今日は明日の幼稚園の運動会で売るエンパナーダ作り。
ここの高校生は自分達で行く修学旅行の金を自分達で稼ぐ。
問屋とのやり取りも自分達でするし、値段設定やらも自分等でする。
全部自分等で決めて、自分等で稼ぎ、それにより修学旅行がどこになるかも決まる。
こうしてここの子供達は皆で協力して生きる事を学ぶのだという。
ここには誰一人
ダルイ
なんて言ってる高校生はいなかった。
高校生で既に何ヶ国語も話せて、なんでも自分達考えて稼いで、努力して協力する事を知っている
しかも、ここの子達は小さい頃からめちゃめちゃ良く働く。
そんな子達が、留学で日本に行くと、たちまち日本の高校生を追い抜くらしい。
こういう勤勉な国民性がかつての日本人だったんだなとしみじみ思う。
別に日本の今を悲しんでる訳じゃなけど、
この子達を見てると、どうしてもそう思ってしまうんだよね。
先生でもある壱番さんは日本人会館の広報を担当している。
物凄く気さくで優しく面白い人だ。
エンパナーダを作ってる生徒達をほっぽいて車で僕等にイグアスを見せてくれた。
広大な畑と
日本人会館所有の採石場。
ここではパラグアイでトップレベルの石が取れるらしい。
(すみません。石の種類忘れました)
しかも、未舗装路がまだまだ多いパラグアイ。舗装化が進む今需要は途切れる事はない
この収入源があるから、日本人会館の会費が安く押さえられ、みな幼稚園から日本語学校に通うことが出来て日本語をキープ出来てるのだという。
再びカラオケにお邪魔
幼稚園の運動会
運動会をパラグアイに広めたのも日系人。
元々団体行動の苦手なパラグアイ人に団体行動になれせる為に、今ではパラグアイ中の学校で運動会があるのだそうな。
幼稚園で習う事は、意外に深い。
日本と同じ日にパラグアイでも父の日を迎える。
園田さんちの父の日パリージャパーティーにお呼ばれ
和朝食始めました
からあげ。
めっちゃうま
ゴーヤがあったから、ゴーヤチャンプルにしてみた
豆腐・肉なしだったけど、やっぱり旨いな。ゴーヤ
そして、最後の太陽が沈み
本当にお世話になりました~~~~~~!!!!